人にレベルは存在する?  2008/02/13

2008/02/13

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なんで、こんなことを考えていたのかなぁ・・・

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誤解を恐れずに回答するならば、YESです。

ただ、このレベル感は定義をつけるから存在するものです。



正しいことを正しいと思う気持ちを、人間は必ず持っているはずです。

ところが、誰かの話を聞いたときに、正しいと思う人と、間違えてると思う人が出てくる。



私は、私の価値観はちょっと変わってると思っています。



息子の学校の校長先生とお話をしました。

その先生の話は、時々、論点がずれるものですから、よくわからないことがあります。

また、発言が曖昧で「ということは、こういうことですね?」と、聞いてもいえいえ私はそういう風には言ってません。。。とのこと。



実は、このはっきりとしないで、筋が通ってないのが、私は嫌いなのです。



それこそ、雑談レベルであればいいですけど、、、

大切な話の時は、困るじゃないですか。

何を言ってるのかわからなくて。



ついつい、じゃあどういう意味ですか?

と、突き詰めてしまった結果、校長の口から出た言葉は「私は校長ですよ」でした。



正直愕然としました。



それは、小学生が言い合いを始めたときに、「おまえの母ちゃんでべそ」と言うのと同じでしょ?



なぜ、この発言が出るかというと、多分、言い合いに負けそうだから、言うわけです。

つまり、正論で勝てなくなったから、相手が違う方法で攻撃するわけです。

しかも、その相手を直接ではなく、相手の親という別の攻撃方法に逃げたわけですね。



で、校長先生の話に戻ります。



私は校長ですよ。

と、言うのは、私は偉いんですよということに、逃げたわけですよね。

言葉を訂正し続ける私に、不満を感じてるというわけです。



ですが、私には、校長という肩書きは、何の興味もありません。



何か???



さて・・・何が言いたいかというと、ここで、標題のレベルの話に戻ります。

私にとって、「先生」という職業は尊敬すべき職業であって、私にとって、先生は、私を導いてくれる人でした。



学ぶべき者がたくさんあり、私を育ててくれたと思っています。

でも、今の学校では、こういう人が校長になれるんですね。

世間体を気にして、表現を曖昧にし、間違いを恐れる。



ここで、何を教わり、何が育まれるのかを考えると、微妙です。



きちんと育ててくれる先生=いい先生



これが、私の中にある定義であり、そこを基準にレベルが存在していると思っています。



天は人の上に人をつくらず。

ただし、人は人の上に人をつくり、人の下に人を作る。



ただの、つぶやきでした。

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