知らないひとが聞けば当たり前の言葉ですが、私を知っている人は、
知らなかったという人もいるでしょう。
知らなかったという人もいるでしょう。
私の高校時代の友人の中には、私の父親を見たことのない人もいます。
私の前夫も会ったことは一度もありません。
私の息子は、・・・一度みかけたくらいでしょうか?
私自身が10年以上話したことがないんです。
さらに一緒に暮らしたことは一度もありません。
近くに住んでいたことはありましたが。
その父が、昨日電話をかけてきました。
孫の顔を見たい、元気でやっているのか、がんばってやれよ。
この30年余の人生の中で一度もそんな言葉を聞いたことがありませんでした。
ある意味、彼を憎むことで私の生活は支えられていたといっても過言ではありません。
結婚式にも出てくれたわけではない。
何かをしてもらったこともない。
育ててもらった覚えもない。
だから、父は私にとって敵でした。
この姓を捨てることができるなら、捨てたいと思っていました。
いまさら何も求めないけれど、何も言わないでほしい。
彼が父親としての義務を放棄していたことで、私は世の中は生きにくいものだと思っていました。
親に守られる幸せ、親がいてくれる幸せを感じたことはありません。
普通に生活していて、家族愛がある家に憎悪を見出すことはありましたが。
何がおきたのでしょう。
彼はきっと、年をとってさみしくなったのではないかと思います。
もしかしたら、私もそういうときがくるのではないかと不安になるほど。
彼の一言一言に私は傷つきました。
私が憎みつづけられる相手でなくてはいけないのです。
動揺はしていますが、日常は流れていきます。
これが夢になりますように祈りつつ。
私は憎み続けたいのです。
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