幼児虐待に隠れる心

2005/02/09

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最近、テレビでよく「幼児虐待」という言葉を耳にする。

いろんなケースがあるのだろうということは想定できる。

でも、マスコミの作戦なのか、大抵の場合は母子家庭である。

ふと、私がまだ子どもを産む前に聞いた話を思い出しました。



ある、都営住宅で火事がおこりました。

4Fには、母と子の2人家族が住んでおりました。子どもはまだ1歳くらいだったそ

うです、

玄関から出ることもできず、火の周りは早い、母はベランダから子どもを抱えて

ぶらさがりました。

なかなか、消防隊員は間に合わず助ける準備が出来ない中、母の腕の力が限界に

近づいてきました。

子どもを抱えてぶらさがるということは、片手に子どもを抱き、片手でベランダ

の柵をつかまっているんです。

普通に考えてそれほどもたないと思います。

母は、悩んだ挙句子どもを離しました。



この母親はその後マスコミにとてもたたかれたという話です。



私はこの話を聞いたことを忘れていました。

でも、息子を産んで母子家庭になると決めたとき突然思い出しました。

事実だったのか、その人の空想だったのかはわかりませんが、この母親をかばう

人がいなかったのだろうかと思うのです。



この母親の一言は「私がいなくなったら、この子は生きていけない」です。



私はこの言葉の重みがわかるような気がします。

結局、母親の自分勝手とか言われていますが、実際にその母親を追い詰めている

ものがあるんだと思うのです。

火事だから、わかりやすいかもしれませんが、二人きりで都会で暮らしている母

子家庭に、子どものそばにいなさいというのは、働くなというのと同じです。

でも、きちんと働きなさいというと、それは子どもに無理をさせることになりま

す。



私に偉そうに語った独身の女の人がいます。(偏見ある言葉でごめんなさい)

でも、実家で暮らし、家の手伝いをちょっとし、普段は夜遅くまで飲み歩いても

なんとか生活がしていけちゃう彼女に「子どものそばにいてやれ」とか、「母親

として間違えてる」とか言われるのはすごく腹が立ちました。



誰だって、どこの母親だって、子どもをかわいいと思いたいんだと思うのです。

冷たくしたいわけではない、虐待したいわけではない。

親としての自覚が足りないなんてあたりまえじゃないですか。

親というのは、子どもを産み育てていく中で、少しづつ成長することで親になる

んだと私は思っています。



親だって、ひとりの人間です。

心もとないときに、愚痴もでるでしょうし、いらいらすることもあるでしょう。

仕事がない不安、子どもを育てていく不安、自分の将来に対する不安、そんなの

をひっくるめて母子家庭は戦っていると私は思っています。



前にも言いましたが、私は子どもを連れて離婚するなら、実家に帰る選択が一番

幸せではないかと思うのです。

でも、それが出来ないとき、覚悟していたもの以上の波に襲われると思います。

子どもを愛してくださいとは言えませんが、自分を愛して欲しいと思います。

間違えてもいいから、間違っていてあたりまえなんだから・・・



母子家庭の将来が少しでも明るくなりますように。

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